忍者の始まりは黒田の悪党や赤目の修験道など様々な説はあり、伊賀上忍と言われる百地三太夫をはじめ、名張には忍者が多数いたと言われます。
天正伊賀の乱の最後の決戦は赤目町柏原の滝野城(柏原城)でした。国津の吉原城など名張地区にもお城は沢山あったようです。
黒田や赤目だけでなく、平家が落ち延びて多くの元武家が隠れたなばりの地は、その昔「隠(なばり・なんばり)」とも言われたそうです。
今でも名残として宇陀地方に吉隠(よなばり)と言う地名もありますし、名張市内には平のつく苗字の人がそこそこ居ます。
名張市政が始まって半世紀以上経ちますが、そろそろ名張市を隠市(なばりし)とあらためても良いのでは?なんて思ったりもします。