第二次天正伊賀の乱をご存知でしょうか?
かの有名な織田信長の息子信雄が信長の命を受け、信長幕下の諸将を引き連れ5万以上の兵をもって伊賀・名張に攻め込んで来た乱です。
今までの見解では、統治する大名も居らず、土豪らが自分たちで自治をし、時の政権に従わない事に腹を立て平定する為に攻め込んだとありますが、数万もの軍勢を率いて戦う兵法や軍略を持たず、それぞれ好き勝手に戦う烏合の衆の伊賀者を相手に何故そんな大群で時間とお金を費やして攻めに来たのでしょうか?
その謎を紐解く鍵が北畠具親と足利義昭ではないかと思いました。
私の一般質問は6月19日(月)の午後1時からですが、これらの謎を紐解きながら物語を作り、その物語の中に登場する史実の人物や実在する城址を物語を通して親しみを持って頂き、あわよくば観光の助けになればと提言するつもりです。