歴史上類を見ない「天正伊賀隠の乱」を世に知らしめたい 

皆様は「天正伊賀の乱」をご存知でしょうか?

大名に支配されず、惣国一揆で自治をし、守護が移封されて来ても追い出してしまう伊賀を統治する為、天正9年に織田信雄と信長は2度に渡って大軍で攻め入り、伊賀全体を焼き払い、最後は柏原城 に伊賀隠勢は籠城し、最終的に和睦にて柏原城を明け渡して信長に降伏すると言う史実です。

注目すべきは大名同士の大規模な合戦は数多ありますが、天下人直前の織田軍5万以上と忍者集団(1万前後)と言う稀有な戦いという事。

そしてその真相は謎が多く、その史実の裏に隠された「もっと大きな歴史のうねり」がある事です。

以前にも触れましたが、ただ織田信長がまだ統治できていない伊賀に攻め入ったと言うだけではなく、私の考えは「足利義昭と徳川家康vs織田 信長・豊臣秀吉」の争いの間(はざま)に伊賀隠の忍者の存在はとても大きな要素であったと考えます。

信長にとって家康の手助けをし、鞆に居る将軍義昭と、義昭と行動を共にする北畠具親を庇護する伊賀隠の忍者の存在が邪魔だったのです。

義昭が展開する信長包 囲網は飛脚・諜報・鉄砲隊・暗殺などを一手に引き受ける忍者と言う強い味方がいないと 実行出来ない状態だったと考えます。

信長としても虎視眈々と天下を狙う義昭や家康を封じ込むにはまず「伊賀隠の忍者」を殲滅する必要があったのです。

そんな大きなドラマをもっと有名にしたいです。

登場人物も大河ドラマの規模に匹敵する人物が登場し得るこの 史実は十分に歴史ファンを魅了する要素があります。

今日、市役所の観光部局に行きまし たが何十種類も並ぶパンフレットの中に天正伊賀の乱に関するパンフレットは皆無でした。

もっとPRし「天正伊賀の乱」を有名にすれば市内にある何十ヶ所もの城跡が聖地化し、名張市がもっと注目されると思います。

私は更にこの乱について研究をし世に広める活動をしたいと思います。

(写真は10月に受講した松鹿先生の天正伊賀の乱の講義の模様です。松鹿先生の思いや知見を継承出来るくらい勉強を重ねたいです。)