3月17日、やなせ宿で開催された「なばりまちなか大学」にて近大の田中准教授と名張図書館長の山口氏のお話を聞きに行きました。田中准教授は名張の鳥瞰図から観光の歴史を紐解くお話を伺い、山口氏からは名松線の歴史と名張の交通の歴史を拝聴しました。
西名張駅はどうしてあの場所になったのか?の考察は楽しく納得できました。あの場所は宇流冨志禰神社の参道の入口に位置し、まさに町の玄関口と言える場所だと言う事。当初参宮鉄道の駅も室生から其処に繋げる計画だったとか?もしそうなっていたら今の駅前の賑わいが木屋町付近になっていたかもって思うと面白いですね♪
上の写真は昭和初期、松崎町にあった寿楽園という料理旅館の写真で、約3千坪の敷地に大きな池があり、その池にかかる寿栄橋という橋があったそうです。松崎町に3千坪ってどのあたりにあったのだろう?と凄く興味が湧きました。知っている人はご連絡下さい
上の写真は昔の丸栄木材(現 丸栄建設)の写真です。私は幼少期この界隈で過ごしました。製材機の大きな音がする路地を抜けて「おばとこ」という駄菓子屋まで通った記憶は鮮明に残っています。